二〇一八年【処暑】

2018年8月27日

不定期更新と言ったものですが、4月から始めたこの投稿、まだ3回しか書いておりません。書きたいことがある時に、自由帳感覚で更新していきますので何卒宜くお付き合いください。

少し堅い内容になってしまいますが、

日本人は米を主要な食物とするとともに、貨幣としての価値を伴って文化形成をしてきました。

かつては野原に自生している陸稲(おかぼ)などが採集されており現在のような水田による稲作は行われていませんでしたが、中国大陸から湿田(水管理をしない水田)による稲作が伝来、さらに鉄器など道具の発達とともに現代のような灌漑乾田(排水口が設けられコメの生育に合わせた水管理をする水田)による稲作へと発達していきます。

食料の生産向上に伴って人口が増加し、人々のコミュニティも家族から村に、村から国へと拡大していく中で、争いが起き、生活の根幹である米を占有しようとする支配者が現れます。飛鳥時代には米は税として徴収され始め、階級を隔てる貨幣的な価値観を持った作物となりました。

さて、野に育つ食料植物が律令制から明治時代まで約1300年もの間、税として国家に徴収されていたのは日本くらいのもので、豪族、天皇、将軍と様々な権力者が各地で米を占有し、やがては日本全国の米利権を掌握するまでに至ります。このように米イコール貨幣だとするならば、稲作技術は錬金術。しかし雨や湿気が多く、盆地の少ない日本の国土で効率的に稲作を行うことは非常に難しく、時には厳しい気候条件によって不作となり飢えを凌がなければならない場合もありました。そこで我々の祖先は様々な工夫をし、老人から子供まで一体となって集落全体での稲作に勤しむようになります。

世界から見た日本人といえば東洋の神秘を秘め、勤勉で真面目、個よりも集団を重んじる国民性といったところに、かつての農村社会の片鱗が残っているのではないでしょうか。圧倒的な自然災害や理不尽な税収、戦争など、長い稲作の歴史の中で形成されてきた文化は、紛れもなく日本文化として私たちの脳裏に刻まれています。

文化という言葉は英語に訳すとカルチャー(Culture)となりますが、この言葉はラテン語のcolere(耕す)という言葉が語源となっています。このcolereから派生した言葉にはAgriculture(農業)や、Cultivate(耕す)という英単語があり、耕す事から始まる農業を礎とした文化形成への繋がりに感動し、言葉というのは非常に良く出来ていると感心しますが、正に私たちが酒造りを通してお伝えしたいのは原料米にまつわる農業のドラマとその背景にある私たちの文化なのです。

私が育った酒蔵というものは、お米との関わりが特に深い業種です。弊社は特に山間地の農家から発生した酒蔵といったこともあり、お米に対する意識は現代一般的なご家庭よりも厳しく躾けられたのではないかと思っています。幼少期から茶碗に一粒でもお米が残っていると食事を終えることができませんでした。それはおそらく、お米の貨幣的な価値を如実に感じているからであって、酒造りをする中でも一粒も落とさぬように気を配って作業にあたっています。

しかし、現代の飽食時代においてその価値観は非常に希薄になっていますよね。コンビニのおにぎりやお弁当は時間が過ぎると廃棄され、フランチャイズ牛丼店ではお米を半分残す女性、食べ放題店では冗談みたいな山盛りご飯を盛り付ける大学生。とても米一粒を大切にしようとする意識があるとは思えません。日本人の中から少しずつお米に対する価値観が薄れ、いつか米とその文化を手放してしまうのではないか。事実、日本の農家に後継者がいない事。お米の値段が上がらない事。すでに伝統的な稲作文化の崩壊が始まっています。

日本人の精神的な文化形成は稲作を中心とした農村社会にあるのに、農村の田園風景はソーラーパネルに置き換わっていく。大皿に盛られた主菜を大家族で囲む集団食から、核家族的な個人食へと変遷する時代の中で、我々日本人がどのような文化を持った民族として世界に出て行くのか。この21世紀において利便性、効率化は素晴らしい事だと思いますが、そればかりを追いかけて自分を見失う事が無いようにしたい。稲穂が風になびく風光明媚な田園地帯こそが日本の原風景としていつまでも思い描かれるよう、米一粒に敬意を払える価値観を次の世代にも残して行きたいな、と考えています。

ジャンクフードも海外ドラマも、特に音楽などの文化も大好きですので思想は中立だと思っていますが、アメリカを「米」国と表記する日本でいいのかなと、寂しく感じているのが心情です。